わたしの骨折体験談 ※脛骨 開放骨折

入院の日記です! 入院中に不安になる方は多いと思います。少しでも力になればいいなと思い始めました。

20日目 手術が決まった


二度目の手術の決定

血液検査の結果感染症について気になっていたCRP(C反応性蛋白質が正常値にもどり、感染症にの可能性は低いとみなされ、手術を受けられるようになりました。

手術の内容としては、骨の内側の柔らかい部分に棒を通すというものでした。ですが私の場合、骨の硬い部分が多く、柔らかい部分が狭いので棒が入らないといわれました。その代わりに、細い管のようなものを二本通して固定すると言われました。

赤線の部分が通す部分です。

脛骨の部分は手術するけど、じゃあ腓骨はどうなるの?と思いました。

どうやら腓骨は手術をしないみたいです。手術の傷が大きくなってしまうからだとか。腓骨の手術をしなくても勝手にくっつくケースがあると言われました。

歩行に障害をきたさないの?

と思いました。体を支えているのはほとんど脛骨で、腓骨はあまり役に立っていない、だそうです。
とりあえず、腓骨が勝手にくっつくよう祈ろうと思います。

入院中の悩み 不安



入院中、私は不安や悩みに押しつぶされそうになりました。また、体が不自由なため、出来ないことがたくさんありました。

悩みや不安を和らげる方法

ずばりそれは情報収集だと思います。自分と似た症状の人を見つける、それだけで気持ちは少し楽になるはずです。
診察時に先生から教えてもらう情報というのは、素人に向けて説明しているので少ない情報で簡単に説明したものです。ですが、専門的な話なのでわからない部分が所々あると思います。それらがまた不安を導く原因中なったりします。ですので、疑問に思ったところはすぐに聞くべきだと思いました。先生は忙しいのであらかじめよく考えて、まとまった質問をするべきだと思います。

ネットで調べるというのも効果的だと思いました。ネットだと間違ってたり根拠のない情報が多いというイメージがあります。しかし、調べるにあたって、医療法人や病院、医師が作ったページを用いればそのようなことは心配せずに済むと思います。

先生に聞く、ネットで調べる、この2つで私は情報を集めました。


私の場合、開放骨折だったので感染症や偽関節などの危険性がありました。特に感染症について何度も言われたので感染してないかどうか不安な状態で何日も過ごしました。

病院内で知り合った人で、膝にプレートを入れる手術をしたが感染が認められたので再手術することになってしまった、という方がいたので余計に不安になりました。

2週間目



焼き鳥みたいやな

それはリハビリの先生が私の足を見て放った言葉でした。骨折で落ち込んでいた私を少し元気にした言葉でもありました。久しぶりに笑った気がしました。

診察が始まった

転院先の病院で診察をしてもらいました。初めて包帯をとった自分の足をみました。固定の釘のようなものが生々しく刺さっており、ほんとうに焼き鳥のようになっていました。ネギはどこに、、、

先生曰く、創外固定の場合は他の固定に比べて固定の強度が弱いみたいで、骨がくっつくまで時間がかかると言われました。また、傷口(骨が飛び出た部分)が治るまで手術はできない、とのことでした。手術は骨の中にある髄という部分に金属の棒を入れて固定をする髄内定という手術をすると言われました。

退院までどのくらいかかりますか?と聞いたところ、今からだいたい4週間ぐらいかな?といわれました。

開放骨折は手術をするまでに感染症になっていないことを確認する必要があるそうです。血液検査でCRP(C反応性蛋白)というのが正常に戻るまで待つということでした。 感染症に以外にも怪我の炎症反応でも数値が上がるそうです。私の数値は正常値よりも一桁多かったので、少し焦りました。

点滴何回すんねん

1日3回でした。朝 昼 晩それぞれ抗生剤の点滴をしてもらいました。針を刺すのが上手い人と下手な人の差を感じました。痛い人は点滴の針でも採血並みに痛いです。点滴と採血の繰り返しで、心にまで穴があきそうでした。

骨折2週間後の足の写真です。 創外固定がすこし生々しいので閲覧注意です。 ↓

足にぐっさり刺さっていますが痛みはないです。シャワーを浴びるとき、最初は袋で覆って濡れないようにしていましたが、数日して何も覆わず刺さってる部位も血が固まっていたので洗いました。何度も言いますが痛みはないです。

緊急手術から2週間たったときには、痛みはほとんど感じなくなっていました。

※立ったときのむくみの痛みは続く

7日目 転院(長野→大阪)



転院しました(長野県→大阪)

実は、大阪に住んでいたのですが、旅行先の長野県で骨折してしまったため、長野県の病院で入院していました。これだけ離れているといろいろ不便が生じるだろうと親が転院を提案してくれました。


約6時間半

移動にかかった時間です。

大阪駅からは環状線などいろいろ使って帰りました。転院受け入れの時間が14時と決められていたので朝の6時から準備をして出発しました。
松葉杖がつけず、車椅子での移動になったので時間が非常にかかりました。

電車が怖い

車椅子に乗った状態で電車に乗るのは初で、名古屋駅大阪駅は非常に混み合っているので誰かにぶつかるのではないか、という不安がありました。改札で駅員さんに車椅子の補助をお願いすると、乗り降りの手助けをしてくれました。駅員さんの補助のおかげでなんとか大阪まで帰ることができました。しかし車椅子で6時間半も電車で過ごすとなると、電車の中では足を上げることができないのでむくみとの長い戦いになりました。

特急ワイドビューしなの
長野県から名古屋までを結ぶ特急です。看護師さんから「あの電車はすごく揺れるし居心地が悪いよ、気をつけてね」と言われていたのでどんなものか気になっていました。長野や岐阜県東部の山間部を通過するため他の電車より揺れるそうです。また振り子式電車という電車らしく、その2つが組み合わさってか乗り物酔いする方が続出するそうです。 私が乗った感想としては、少しガタガタするなとは思ったのですが、山の風景をみるのに夢中だったのと、足の不安があったので、酔うことはありませんでした。



2~6日目


手術の翌日

目覚めるとやはり夢ではなく、痛々しく固定された足がありました。起き上がることはできても移動ができない、トイレにいけないというのが苦痛でした。釘のようなものが足に刺さっているのに痛みがないという違和感、固定器具が他の金属に当たったときの振動の気持ち悪さ、この先歩けるようになるのか不安になりました。ですが、前日より痛みは大分ましになりました。

3~4日目

術後から1日たつたびに痛みがましになっていくのがわかりました。

足の状態を良くするために

  • 足を心臓より高く上げる
  • 足首を定期的に曲げる
  • 足の指をグーパーする

以上のことをする必要があると言われました。

足を心臓より高く上げる

炎症による腫れと動かせないことによるむくみが生じるそうで、足を挙上する必要があると言われました。重力で血が足にたまるのせいではないかと思いました。実際に片足で立ってみると骨折部分に血が溜まる感覚と同時に痛みを感じました。RICE処置のElevation(挙上)ですね。

足首を定期的に曲げる

関節を動かさない状態が続くと、関節が固まり動かなくなるそうです。また、足首を曲げる以外にも足首をできるだけ直角にした状態を保つように言われました。私は足首をあまり曲げていなかったので、ギブスを巻くときに足首が曲がらず、可動域が狭くなってしまいました。(10月9日)

足の指をグーパーする

足の指を閉じたり開いたりすることによって血流がよくなるそうです。

また車椅子の許可がでたので、一人でトイレに行くことや、デイルームで友達と電話したりすることができるようになりました。ご飯もたべれるようになりました。


5~6日目

車椅子にも慣れてきて、食欲ももどり、痛みも動かさなければ感じないほどになりました。日にち薬という言葉の意味がよくわかった気がします。お腹が空くようになってしまったので、病院内にあるローソンにスイーツやパン買いに行ったりしていました。このときぐらいから入院生活に慣れてきたなと感じ始めました。

1日目 緊急手術 9月14日


開放骨折は時間が勝負、ゴールデンタイムがある。

緊急手術

救急車で病院に運ばれてすぐ、緊急手術をする必要がある、と言われました。開放骨折感染症の危険性があるため、怪我をしてから6時間以内に手術をする必要があるそうです。(私は約2時間後程度でした)

骨を水でよく洗う

そして骨折部分同士ををつなげ、足の内部ではなく、外側で固定する、という手術でした。 全身麻酔だったので、マスクを付けられて2〜3病後には寝てしまい、起きた時には終わっていました。


運ばれてすぐ、麻酔や手術に関する書類に記入する必要がありました。激痛の中、説明を聞いて名前を記入するのは非常に辛かったです。
足を動かすことができなかったので、服が脱げず切ることになりました。バスケのユニホームを着ていたので、後で切られたものを見て少しショックでした。無理やり脱がされて痛みを我慢するよりはましだと思いましたが、、、


手術が終わってからは、しばらく激痛との戦いでした。筋肉注射というものをしてもらい、楽になった記憶があります。動くことができなかったので、トイレは尿瓶で行うことになりました。ベッドの上でトイレをするということに抵抗があるのかなかなか尿がでませんでした。 術後の足の腫れがひどかったので、足が吊るされた状態でしばらく過ごしました。


手術の怖さや不安があると思うですが、痛みから早く解放されたいという思いの方が強く、あまりそのようなことは思いませんでした。

骨折の原因 状態 直後の状況


骨折直後の状況について書いていこうとおもいます。



原因

私はバスケットボールの試合に骨折しました。 骨折の瞬間の記憶はないのですが、チームメイトいわく、ランニングシュートの着地ミスで骨折したそうです。 覚えているのは、すねのあたりからポキッという音がして、倒れたことだけです。
私は7年間バスケをしていたのですが、脛骨が折れるというのは初めてで、聞いたこともありませんでした。着地の場面での怪我は足首と膝がほとんどです。ですので、怪我をした時は一瞬パニックになりました。

状態

右の脛骨の開放骨折腓骨の骨折でした。折れた脛骨が皮膚から飛び出しており、少し出血していました。怪我をしたとき折れた部分の感覚はなく、また別の場所で痛みを感じているようでした。レントゲンをみると、大げさにいうと「介」の字のように完全に折れていました。

骨折直後の状況

バスケの試合中に怪我をした場合、怪我人をコートの外に運び、試合を続行するというケースが多いです。ですが私の場合は、移動させることもできなかったので、試合中止となり救急車を呼んでもらいました。スキー場近くでバスケをしていたのもあり、救急車の到着には20分ほどかかり、そこから病院まで40分かかりました。開放骨折は時間が勝負らしく、骨折後6時間以内に処置をする必要があるようです。 その後の手術については、また更新します。